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『この世界の片隅に(映画)』個人感想
このブログでは通常、ゲームについて扱っておりますが、申し訳ない。どうしてもこれを書いて置かないと自分の中のあれこれが落ち着かないので、少し時間が経った今、書かせていただきます。一個人の感想ですので、たいしたことは書けないのですが。

以下、感想等。


私がこの映画を観たのは、公開から2週間ばかりが経った頃。
広島・呉を舞台にした戦時中の映画。そういったものをやる。資金をクラウドファウンディングで集めた。原作の漫画があるらしい。その時私が知っていた情報はこんなものだ。他の情報と言えば、主演が女優さんだということくらいだろうか。
「これ、観に行きたいんだよね。何か評判いいらしいよ」友人がそう言ったのに、私は「ふうん」と返した。

どこかで書いた気もするが、私の出身は広島だ。その後、就職し他県へ動いたりもしたが、広島。祖父母は戦時中広島に住んでいた。
さて、そんなもんで私は幼少期からずっとそういう、いわゆる平和教育に関わるものを見続けている。そりゃあもう、これでもかと見てきている。
毎年7~8月あたりには、話者の顔を覚える程原爆に関わる体験記を聞いた、映画も観た、アニメも観た、漫画も見た、本も読んだ、終戦記念ドラマは毎年放送されている。体験記などは毎年講演があるのだけれど、他県ではどうなっているのだろう。あるとすれば、修学旅行だろうか。そんな事を、義務教育~高校、場合によっては大学まで行う。
こういう土壌があるので、件の映画についても「新しい平和教育の教材が現れた」という感覚が強かった。映画館で観なくとも、きっと子供らはいつか学校で観るのだろうな、くらいの感想。

映画館に行ったのは、ただその時に暇だったから、友人が行きたいと言っていたから。館内は満員。最前列の人大丈夫なんだろうか。私も一人だったので席が取れたような感じだ。観客層は幅広い。高年齢層もいれば、若者の年まで。流石地元の話なだけはあるな、とぼんやりと思った。
ネタバレ等は気にしないため(まずもって原作持ちだし)、事前にツイッター等で評判を軽く調べて上映を待つ。
「すずさん(主人公)のふんわりした話し方がよかった」「ほのぼのした空気」「淡々と描かれた戦時中の一般家庭の話」「感動した」「反戦と言わないのがよかった」「笑って泣けた」
全ての感想をみたわけではないが、上位に来たのはこんな感じだろうか。もっと探せば違ったかもしれない。

話の大筋はこんな感じ。昭和20年、広島(広島市内)から呉に嫁いだ主人公、すず。呉は当時軍港として栄えていた。度重なる空襲や様々な出来事に翻弄される主人公。広島へ戻ろうという妹からの誘いや、呉で生きていこうという決意。そして、昭和20年8月6日が訪れる。

観終わった時、私は当分椅子の背もたれに頭をつけたままだった(早く出たかった人ごめんなさい)。
真正面から殴られたように頭ががんがんしたし、誰かと話さなければと思った(その後、帰りにバーによってカウンターでマスターと客相手に喋り倒した)。私は一体、何を観てしまったんだ?

ネット等で言われていた、「感動」も「ほのぼの」も、「泣ける」も感じなかった。「面白い」という感想も言うことができなかった。「笑った」はそうなのだけれども、でもその笑いもまた衝撃に吸収されて最後の感想になれない。「いい映画」とまとめるのも言葉が足りなくて困る。
その直後に書いた感想は、「怖かった」でまとめている。色々な恐怖だ。ただ圧倒された。怖かった。私が感じたのは、凄いもの、例えばその後の歴史に名を残すような偉人や事件に出会ってしまったような畏怖と恐怖だ。とんでもないものを観た。誰かに伝えなければ、これが評価されなければ。教えられなければ知らなかった自分が悔しくもあった。その時の衝撃が、こうしてキーボードを叩かせている。

先に書いたとおり、私は今まで散々こういった内容のものは見てきたはずだった。
しかし、基本、私の見てきたアニメも、本も、人の体験記も“広島市”の中心地の話だ。平和に暮らしてきたところに、ある日突然原子爆弾が落ちる。家族が死に、家がなくなる。街にはただれた体を引きずる人が水を求め、黒い雨が降り、誰かが後遺症で亡くなる。最後は焼け野原で主人公が「戦争の馬鹿野郎」と叫ぶ。広島市の中心の、そういう話だ。
しかし、これは違う。その時、山で挟まれた向こう側にあった、隣の市、呉の話だ。
あれだけ教えられていたのに、私はその時、確かに隣にあったはずの市の様子を考えたことはあっただろうか?原爆が落ちるまで、軍港である呉の空襲がひどかった。でも原爆は広島に落ちた。これくらい。じゃあ、呉の事は知らなくてもよかったんだろうか。

当時の呉は、軍港だ。港にはいくつもの戦艦が並び、造船され、にぎわっていた。かの戦艦・大和もここにあった。
主人公の嫁いだ先の家も、そんな海軍に関わる家。かつて日本は“戦争特需”を味わっている。世界は第一次世界大戦以後、軍縮を進める。もっとも、それも第二次世界大戦でご破算となるが。
当然のことだが、今の私たちの感覚にせよ、教科書等での書き方にせよ、軍縮は“良い”ことだ。だが、この映画ではさらっと「軍縮の頃は大変だった」と口にする。特に重要でもないような、世間話くらいの軽さで。それはそうだ、軍関係の仕事をしている家からすれば、軍縮はただただ仕事が減る。
よくこうした歴史の話の中に、反戦の志を語る一般市民や「この国はどうなるんだ」と青ざめる主人公なんかが出てくる。しかし、よく考えればそんな人は当時その辺にごろごろしていない。いたかもしれないが、それは一般家庭に主婦として二人も三人もいるわけはない。終盤のラジオ放送による終戦宣言を、「どういう意味?」と首を傾げたのがそうであるように、そんな内容を一発で理解できた家族一同もいない。「死んではいけない」と叫ぶ女学生も、堂々と他人がいつ聞くともしれない場所で泣き叫ぶことはできない。
当たり前のように、現代から見た感覚を当時の人々の心境に重ねる。戦争物だけではなく、戦国時代でも、歴史を扱った内容のドラマにはこれが本当によくある。性格又は感情の後付とでも言うべきか。この映画ではそれが徹底して排されている。

こうした淡々とした描写の積み重ねは、まるで記録映像のようだった。普通。すごく普通。戦争が始まる前から、終戦の少し先までの、一人の人間を映し続けた映像記録。
であるから、余計に恐ろしい。話は主人公の幼少期から始まる。「昭和8年」「昭和10年」「昭和18年」……。画面に表示される年表は、最初はただの時間経過説明。ぽんぽんと飛んでいく時間経過。
だが、話が進むにつれ、それが細かくなっていく。「昭和19年12月」「昭和20年3月」「昭和20年7月」……。
私は原作を読んでいない。年表が昭和20年代に入ってからは時限装置を突き付けられているようだった。一種の、今の時間から見ているからこそのサスペンスのような緊張感。だが主人公たちはそれを知らない。知っているわけがない。
あの瞬間が来るのか、しかしここは呉だ。主人公はどうなるんだ。広島に帰るのか。帰ってはいけない、留まらなくてはいけない……。

迎えたその瞬間。……こんなに劇的ではない昭和20年8月6日午前8時15分の“広島県”を描いた作品を、少なくとも私は見ていない。音が消えて光って、色が消えて、爆音がして、家も人も消える。そんな内容を教わってきた。
私とは別でこの映画を観た友人と話をした。「あの瞬間の呉から広島はこう見えてたんだねぇ」そう話した。そうか、揺れたのか。音や色は消えていなかったのか。障子や回覧板が飛んできたのか。
作中、主人公が郷愁や色々なものに駆られた時、「あの山を越えたら広島」と言うことがある。知らない人が聞けば、近いのかと感じるかもしれない。確かに広島と呉は隣り合った市だ。でも、彼女が住んでいたのは広島の中でも江波。地図で確認すればわかるが、郷里と呉は全然近くない。当時の交通事情を考えれば、今以上に遠い。仮にその障子や回覧板が広島の、ぎりぎり端の方から飛んできたとしても、その山を越えなければいけない。
この回覧板が飛んできた、という描写は、友人も私もそろって口にした点だった。それくらいに、衝撃だった。

映画の終わる間際、広島に入った主人公。そこに映るのは、ある意味見慣れた街並みと、見慣れたあの瞬間の再現。ああ、やはり中心に描かれないだけで、いつも見るあの風景もまた、この映画と隣り合って地続きに存在しているんだ、と感じた。飛んできた回覧板は、いつも観る平和教育の映画や漫画から飛んできた回覧板だ。山を挟んだ向こうでは、別の主人公が世界の片隅で「戦争の馬鹿野郎」と叫んでいる。

映画は実に淡々と、その時代にいた普通の人をおなじ時代から見ている。
死んでいた事を知らされる親の存在や、近所の人の息子の事。人が多く死に過ぎて、いちいち大きな反応もしない。後遺症で今から死ぬのだとまだ知らない妹。この腕の斑点が何か、この時点の主人公ははっきりと知らない。だからそれ程大きく落ち込みもしない。冗談めかして「もう海苔の仕事をしなくてもいいね」と言いあうが、この後江波の海苔産業は段々衰えるから出来なくなる。主人公たちはそれも知らない。徹底して同じ時代から見ている。
もしもここや、その少し前、妹が主人公に「広島に帰ってきたらどう?」と言ったとき、主人公が「嫌な予感がする」とでも言ったなら、ここまで打ちのめされることはなかったと思う。
あれは地続きの8月の中の一日の話。切り取られた特別な日ではない。だから主人公はしょうもないような完全な偶然で助かるし、主人公の母は完全な偶然で助からない。

私の祖父が存命だった頃に、「どうやって原爆で助かったん?」と聞いたことがある。彼はなんでもないような顔で「便所にいたから……」と言った。なんだそれは、そんな理由で助かるようなものなのか、もっと凄いものだったんじゃないのかと思ったが、現に祖父は助かっているし、祖父を外で待っていた彼の弟は死んでいる。
何故最後に出てくる孤児が原爆投下直下付近にいて生きていたのかもまた、偶然なんだろう。母親が守ったのかもしれないが、守られても死んだ子もまたいただろう。「あの瞬間、あそこに居なければ」と思うかもしれないが、あれは“原爆ドーム”ではない。”産業奨励館”なのだ。周囲は“平和公園”ではない、“商業の中心地”なのだ。そりゃあ、いるでしょう。
助かった人とと助からなかった人に劇的な差はなく偶然なんだろう。特別なこともない。実にシンプルで、すっと真っ直ぐこちらに入ってくる。

映画は終戦から少しばかり過ぎたところで終わる。終戦したからといって劇的に生活が近代化するわけでも、今までの倹約生活が終わるわけでもない。少しだけの変化を加えて、時系列が続くだけ。この静かな終わりに打ちのめされた。
何でもない特別ではない映画の終わりは、私たちの今の生活へと続く。特別ではない日は、今の特別ではない日でもある。「反戦と言わない映画」という感想を見たが、私は寧ろこれ以上ない反戦映画じゃあないかと思った。今の考え方で「まあ普通、戦争はよくないよね」と自然に思えるなら。

観終わった後、ふと自然と考えたことがある。「背景にうちのじいさんは映ってたかな」、と。そして一拍置いて自分で笑った。アニメなのだから、そんなことはない。本当のうちの祖父は山の方の出身だ。海沿いの町にはいないだろう。でももしかしたら、友人の祖父ぐらいは映ってたかもしれない。

どれだけ書いても私の乏しい語彙では説明できないが、観てほしい。その後、映画が様々な賞を取り、あらゆる場所で評価されていくのを見て、本当にうれしかった。
先に、この映画を観る前「新しい教育教材が現れた」と思った。観終わった後で思う。「新しい教育教材が現れた」。観る前とは違う気持ちで、そう思う。




お付き合いいただき、ありがとうございました。

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2017.05.22(Mon) | 日常 |

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